2024-02-26 07:00 テーマ:エロい話
3月に入稿する受け手女子の同人誌の文章(初稿)です。
とりあえず書きましたが、449文字削らなくてはいけません笑
そもそも、この方向で良いのか?
蛇足部分はないか?(否、在る)
皆様のお目に一度晒して、ご意見をいただければ幸いです。
忌憚ないご意見をよろしくお願いします!
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「スーパーに行ってくるね」
旦那と子供にそう言って、私は変態バーに向かった。
私は3年前から縄を受けている。 月に1〜2回だけ、近くの変態バーで行われている緊縛イベントに合わせて、私は家族にバレないように、ただのイチ主婦の顔をして、パタパタと家を出る。
普段通りの雰囲気で出たあとは大変だ。なにせ、買い出しと言ってるのに帰ってきた時スーパーの袋がスッカスカだったら、おかしいだろ? だから、スーパーの棚と棚の間を超マッハ全速力で走り周り,あっという間に食材をカートに乗せていく。「ん〜、どっちのキャベツが美味しいかしらー」なんてやってる時間はない。
そして、鮮やかに会計を済ませ,お店に向かう。 お店に着くと、話をつけてあった縛り手さんが「そら、来た」と構える。 1縛、だいたい30分。 それが、私に許された自由だ。
もちろん、ゲストが来る大イベントの時など場合によってはウソのアリバイを作り上げて臨む時もあるし、逆にマジで時間なくて10分で1縛オーダーしたこともある。
なので、私の受ける縄は「ドライブスルー緊縛」と呼ばれている。
さて、私はこのような家族にウソをつき続ける生活をどう感じているのか?
一言で言うと、非常にツラい。心苦しい。 かつて、旦那子供に隠し事を一切していない生活を数年間していたことがあった。その時は至って快適で穏やかであった。全てが正直である生活というのは、こんなにも清々しく、何事にも変え難いものであると、幸せを噛み締めていた。 感じていたのに…自らこの世界に飛び込んでしまって今に至る。 もし、あなたがこれから家族を持つ立場であるなら、これだけは伝えたい。 隠し事などするものではない。 特に墓場に持っていく覚悟を決めた隠し事などは。
緊縛については、家族に話そうかなぁと思ったこともある。何故なら刑法や民法を犯す様なことは何一つしてないのだ。
では、何故、3年も縄を受けていることを隠しているのか? 理由はよっつ。
ひとつ、緊縛の持つ一般的なイメージが故。
ふたつ、長い間ウソを付いていたこと自体が不信感を産むから、今更あとの祭。
みっつ、ワンチャン見学という形で私の受けを見ることがあった時、滲み出るエロさがあるため(自分で言う笑)、口ではクリアなこと言ってても全然不埒じゃん!問題。
よっつ、これが本命。過去そして未来の不貞不倫変態が芋蔓式。そう、旦那子どもに隠し事のない至福の数年間、それ以外は俗にいう不貞と不倫のオンパレードだ。 元々はレスであった旦那との関係を良好にするためだけのSEX外注であった。 その後紆余曲折あり今に至る。
人生の出来事は数珠繋ぎで、何か一つを点でのみ伝えることは…おそらく不可能なのだ。
そして、家族の中で全ての点が線に繋がった時、私は全ての信用と財産と親族と家族を失う可能性がある。そしてそれは私が私の命を失うよりも辛いことだと想像できるし、世界で1番大切な家族に世界で1番辛い思いをさせてしまうことになるのかもとも想像する。 この20年、その恐怖を思いガタガタと震えながら過ごす夜も少なくない。
それだけ辛いのに,なぜ私はこの様な生活を続けるのか? 理由はひとつ。私は私のセイ(生、性、声)にだけはウソをつきたくない。妻や母である前に、ひとつの魂を持つ人間なのだ。そのひとりの人間の趣味嗜好が、ちょっと、世間一般の許容範囲とはズレがある、それだけなのだ。
自分に正直に嘘をつかず、その上で周りを気遣うが故の隠し事は、少なくとも私にとっては善だ、恐怖の夜を迎える度に、そう自分に言い聞かせ、震える足に気付かぬフリをしながら、暗い夜道を、遠くから聞こえる私の声(セイ)だけを頼りに、前を向いて歩いている。今もずっと。
緊縛は、そんな何度も繰り返される悲痛を、箱の奥に中にしまっている憤慨を、表に出してあげるのに打ってつけだ。
縛り手のせいにして、縄のせいにして、私は私の中に埋めてあるツライ・クルシイ・サミシイ・イカリを嗚咽に乗せる。
縛り手は私の吐露を知ってか知らぬか、その歪んだ表情に笑みをこぼす。
観客も私の汗ばんだ肉体と喘ぎに悦ぶ。
私の罪が人の悦びに変わるのは、私自身が世界から許されるようで、とても救われる。
そして私は今日も隠し事を増やしながら、救われに行くのだ。